頻繁に起こる死を目の前に②

なんでなのかずっと分からなかった。

 

 

でも分からないまま、人の死をやり過ごすわけにはいかない。

 

 

 

いろんなタイミングが重なって僕は「利己的な遺伝子」という本を読んでいた。

 

人間は遺伝子という利己的な存在を生き残らせるためにプログラムされた機械なのだと提言する名著。

 

 

本を読んでこんなにショックを受けたのは初めだった。生物の恐るべき真理を知ってしまった気分だ。

 

 

 

 

 

分かったのは、家族でもなく遺伝子的にも全く関係ない人、さらに仲がいいわけでもなく自分を助けてくれる可能性もない人の死に対して、遺伝子は人を悲しませたりはしないということ。

 

 

アフリカの子供たちがいくら餓死していると言われてもほとんどの人が助けにいかないのと同じ。

 

 
本来は自分のためばかり考えようとするのが遺伝子。

 

自然淘汰の中で生き残った遺伝子は利己的でしかありえない。

 

 

 

 

しかし遺伝子が生き残るようにプログラムしているが、この本は必ずしも人間が利他的になれないとは言っていない。
人間は遺伝子によって大きく左右されているが、環境によっても多大な影響を受ける。

 

いい例ではないけど、遺伝子が生き残るために人が生きているとすれば、ゲイやレズの存在はおかしいし、自殺だって年間3万人も発生しない。

 

 

 
ただ遺伝子が基本的な人を作っているのは真理で、

 

 

死に触れた時、自分とはあまり関係がなく、悲しまないこと自体が悪いことではないと思った。

 

 

もちろん悲しいと感じたら悲しんだらいいが、無理して悲しむ必要はない。

 

 

だからといって人の死を自分に関係ないとないがしろにしちゃいけない。

 

 

 

 

 

 

 

死を大切にする社会であるべきだ。

 

 

すべての人にとって死はとてつもなく大きい問題。

 

 

死について考えるからこそ、よりよく生きる。そっちの方がみんな幸せだ。

 

 

 

 

 

 

だから僕は、人の死に触れる時

 

①その人に尊厳を持って接する

 

②その人がなぜ救えなかったのか考える

 

③今後同じような人を助られるように努力する

 

④その人は亡くなってしまったが、その家族はいる。その人たちのためにできることをやる

 

⑤死に触れる機会が減った現代社会において教育の場とも捉える

 

 

 

これを実践していこうと思う。

 

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