許すんじゃなくて寛容さを持つこと。

言葉と行動が一致しないのは嫌いだ。

 

自分の言葉と自分の行動は一致させないと。

 

ウソをつけば、信頼を失うのは当たり前。

 

 

信頼を失うとよけい自分の首を絞めることになる。

 

 

だから出来るだけ自分の言葉と行動は一致させるべきだ。

 

 

 

 

だけど現実世界では言行一致していないことが往々にしてある。

 

人のそういう場面にはたくさん出会ってきたし、これからも間違いなく出会う。

 

もちろん自分も一致させられなかったことはいっぱいある。

 

それでも口ではいいことを言って、全然行動が伴っていないのはよくない。

 

 

 

だからといって厳しく指摘し続けないといけないのか。

 

許してはいけないのか。

 

自分がやりたいように生きたらいいんやし、自分で首を絞めててもその人が納得いってたらそれでもいい気もする。

 

 

結局みんな自分のために生きてるんやし。

 

 

 

 

こんな風に自分で納得すると、俺はえてして人を許しがち。

 

 

許してばっかだと飲み込まれる。

 

 

どうしたらいいか。

 

少し考えて、

 

 

俺はまた一つ自分の信念を見つけた。

 

 

それは

 

 

「寛にして畏れられ、厳にして愛せらる。」

 

               ー宋名臣言行録

 

 

 

 

畏れられるくらい寛容でいい、と。

 

 

許してばかりだと飲み込まれるかもしれないけど、それを飲み込むくらいの寛容さがあるんじゃないかと思う。

 

 

ただそれだけではなく、厳しさがある。

 

 

愛されるくらいの厳しさが。

 

 

 

許すことと寛容さは違う。

 

 

 

 

畏れられる寛容さと愛される厳しさを持ち歩こう。

 

 

 

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