「ヘルスコミュニケーションをデザインする」★★★☆☆を読んだ。
医療者は人を健康へと導くために、当たり前にコミュニケーションという手法を使っているわけだけど、それについて研究している人が書いた論文。
ヘルスコミュニケーションがどういったものかよく分かった。
ヘルスコミュニケーションとはもとからあったもので、
①医者と患者という二者間のコミュニケーションに由来
②保健を提供する側と利用し受益する側という社会集団のコミュニケーションに拡大
③双方向からのネットワーク型のコミュニケーションを包摂するもの
と広がってきている。
また著者はヘルスコミュニケーションを、その時代の分化や歴史というものに影響される極めて動態的なものだと言っている。
私は、ヘルスコミュニケーションというものが、どのような社会でもどのような歴史的 文脈の中でも、普遍的に共通な一般像を結ぶとは考えていない。ある時代のある社会においてヘルスコミュニケーションと呼んでいるものが、別の異なった文脈ではおよそ似ても似つかぬものである可能性がある。ここで、ある時代のある社会とは、その 2つの時空間を兼ね備えた文脈のことであり、それを人類学者は「文化」と呼ぶことだろう。身体観や(超自然や神格との交流を基調とする)宗教が文化や社会において多様な広がりをもつものだとすれ ば、ヘルスコミュニケーションもまた多様な広がりをもつ可能性を誰が否定することができ ようか。病気や治療の概念が異なる[池田 2010:123-124]ように、ある社会における極北の、あるいは逸脱したヘルスコミュニケーションが、別の社会では中心的なコミュニケーションの課題になることだってあるはずだ。
ヘルスコミュニケーションが文化によって変わるものと定義した上で、情報化が進んだ現代において、ヘルスコミュニケーションが与えるインパクトが強くなったと述べている。
確かに情報革命によって患者さんもネットでいろいろ調べてから受診するようになった。
僕もこないだ便秘による腹痛の患者さんを診させてもらったけど、「若いのになんで来たんだろうか、たぶん腸閉塞(イレウス)を心配してたんじゃないかな」と思って聞いてみたら、見事に「ネットで調べてイレウスと同じ症状だったから来た」と言っていた。
そういうニーズをきちんと拾い上げ、応えていくヘルスコミュニケーション(この場合は医療者-患者間)は本当に大事だと思う。
ちなみにそういったニーズを拾う時に役立つのが、
1.解釈(か)
2.希望(き)
3.感情(か)
4.影響(え)
だ。1その病態について患者さんはどう解釈しているのか、2何か検査や薬を希望しているのか、3その病態によってどんな感情になっているのか、4生活にどう影響しているのかを聞く。そうすると患者さんの考え方が分かり、それに対応しやすくなるため満足度は上がる。
話が少し逸れてしまったが、情報革命によって一番影響を受けたのは医療者だ。
証拠に基づく医療(Evidence Based Medecine)が言われるようになったのはこのエビデンスに誰もがアクセスできるようになったからだ。
そんなわけでヘルスコミュニケーションはとてもインパクトの大きい分野であるけれども、著者は、ヘルスコミュニケーションは何でも解決してくれるものではないと注意を投げかけている。
またヘルスコミュニケーションをきちんと分類しないといけないとも言っている。
我々は、コミュニケーションでやりとりされる情報の量と質の問題を議論しているのか、それともコミュニケーションの末に到来する何かの状態の変化(具体的には患者の本復や改善、あるいはそれに向けての情報理解や得心)に焦点化するのか、議論が混乱して、定義の確認から始めるという堂々巡りに陥る可能性がある。同じように、マルチメディアや インターネットを使った「コミュニケーションの改善」という文言が登場すると、それはあくまでもより多くの人への正確で効率のよりメッセージの伝送という、機械による通信技術の発達の影響を顧慮しなくてはならない。
ヘルスコミュニケーションは万能じゃないし、ちゃんと整理して言葉を使っていかないといけないってわけ。
今後この言葉はよく使われてくるものだからこそ、その点を留意したいものだ。