戦国時代の残酷なまでに合理的な世界から学ぶ

スポーツでもゲームでも人生でも、ジャンケンでさえ勝った方が気持ちいい。

 

勝ち方はメンタルマネジメント 勝つことの秘訣の記事で紹介しているが、

 

敗者の条件を知ることでよりくっきりと勝者たる条件が分かる。

 

そう思って読み始めた。

 

敗者の条件★★★★☆会田雄次

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この本は食うか食われるかという戦いの原則が支配していた戦国時代やヨーロッパの真実の姿が描かれていた。

 

その真実を客観的に受け止めることで現代の自由競争が理解できる。

 

この本を読んだ一番の感想は、

 

 

真理は暗黒。

 

 

歴史では光輝く勝者の英断ばかりが語られ、好まれるが、現実にはもっと暗い部分がある。

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画像はコチラより

 

親戚・兄弟・両親を殺さざるを得なかった戦国時代。

 

自分の命・権威・名誉・女・大志のためには何だってする。

 

 

残酷なまでに合理的になる。

 

 

下克上の時代では、高貴な生まれと教養と誠実さと能力を持った人は、時代遅れのものに献身し、死ぬことになった。

 

合戦の時に吉日を選んだり、方向を考えてたり、神事、易、和歌、能に精力を使いきってはいけない。

 

信長がそうしたように新しい時代は、古い飾り物としてしか役に立たぬ伝統の衣を、きっまりと脱ぎ捨てたものによってのみ築かれていくのである。

 

 

 

競争に勝ち抜く能力として著者が記したことを抜粋すると、

 

 人生の持つ苛酷さに、誰の助けも借りず、誰とも結ぶことなく、まったく自分自身の能力と責任において進んでぶつかっていく。
 徹底的に、自分自身だけで処理していくのだ。そのためには、氏素性も地位も身分も財産も持たぬ方が、かえって覚悟が定められてよい。何か持てば、人は当然の弱点として、その自分自身のものではない何者かにたよろうとするからである。
 では、この個人の能力とはなんであろうか。武芸の能力ではない。もちろん、武芸は必要だが、それだけでは、かろうじで自分1人が生きていくだけのことにすぎない。それに武勇がありすぎると、大将としてはかえって困る。「人は元来みな、犬のような臆病者である。猛虎のごとき将が、ただ1人敵のなかに突入して死んでしまう、ということになりかねない。強すぎるのは、弱すぎるのと同様に悪である(甲陽軍艦)。」たよりとするのは自分の才能である。鈍でもなく、利発にもすぎず、決断と不屈の精神と万全の計画を遂行していく力である。

 

 

 

この考えが丸々現代社会に当てはまるわけではない。

 

しかし、「天は人の上に人を作らず」として身分制を極端に排撃した福沢諭吉も否定したのは世襲的な身分制だけで、「学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり高人となるが、無学のものは貧人となり下人となって、この現実の世の貧富貴賤の区別が生ずる(学問のすすめ)。」と述べるように

 

人生には厳しさを伴い、

 

自分の力で前に進まなければならない。

 

 

シビアな現実を感じた。

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