PTの友人と話をして感じた違和感の答え

ここ最近はPT(Physical Therapist; 理学療法士)の友人と会う機会が多く、違和感を感じることがあった

 

 

その友人たちは大手企業をやめてPTになる道を選んでいたり、自分の心にまっすぐで、とても賢い。

 

「なんでPTになろうと思ったの?」と強く疑問を抱いた。

 

彼女たちは、会社で数字で結果が上がってくるよりも、1人の患者さんから直接ありがとうと言ってもらえることで心から嬉しいのだそうだ。

 

僕の中で何かがつっかかる。

 

「それで本当に満足できるの?」

 

 

僕は社会的インパクトを追い求めている 


分かったことの1つは、僕の場合、もっと社会的インパクトのあることがしたいと思う。

 

 

1回の人生、できればもっと面白いこともしたい。

 

 

僕の場合の面白いとは、広く人のためになる可能性をもった活動を実践することだ。

 

目の前の患者さんを診療し、よりよい人生を歩めるようにサポートし、感謝されたらもちろん嬉しい。

 

診療をする中で着実と人のためになることができる。がしかし、拡大して人のためになる可能性に欠ける。

 

だから、僕は単に医者の仕事をしているだけでは満足できない。

 

共通認識が多い友人と、満足できるポイントに違いがはっきりあることを感じた。

 

 

 

 

さらに深層にあった違和感の答え


もう1つ気付いたことがあった。それは、いつも感じていた感覚がないことだった。 

 

その感覚とは、優越感とそれをできるだけ隠す自分の心の動きだ。

 

すごいよねと言われることが多い医者ではなく、積極的に僕の友人はPTを選んでいる。

 

病院の中でいると、PTよりも医者の方が偉いという感覚が生まれる。年上のPTさんから先生と呼ばれるし、指示を出すのも医者だ。

 

それなのに、僕の友達はPTを選んでいる!

 

医者を羨んでいるわけじゃない。その奥にある、僕が自分の優位性を感じられていないことに違和感を覚えていたのだ。

 

それはつまり、僕が医者であることに奢っていたことを意味する。

 

確かに医者は素晴らしいことをしているし、世間体もいい、病院内での立場も高い、テレビでも専門家といえば医者で、給料もいい、命に深く関わる部分なので頼られる。

 

イノベーションを起こしたい僕には人を巻き込む力が必要で、医者であることは武器になる。

 

そんな武器に頼って、優位性を保とうとしている。

 

しかしそれではイノベーションは起こせない。

 

医者が偉いんだと誇示してしまうと、客観的によいものを評価できなくなる。そうすればいいものを取り入れることができなくなるからだ。

 

それぞれの職種の現在の役割、思い、潜在的なニーズなどをしっかりと見極めることがよりよい医療を築く一歩だ。

 

頼るものが肩書きしかないほど、医者であることを誇示する。

 

 

医者という肩書きに頼らない、自分の強さを身につける必要があると分かった。

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