高齢者の生きる価値について。

「生きていてもしょうがないと思うの。」

 

「腎盂腎炎という病気になったから、入院して治療しましょうね」と伝えた時のことだった。

 

 

「早く迎えにきてほしいと思ってるの。でも今回もダメなのね。」

「もう周りの友達もみんないなくなってしまって、迷惑をかけるだけだわ。」

「すっきりあの世にいける方法はないのかしら」

 

しっかりとした声でそう言っていた。

 

綺麗に白髪を櫛でとかれてあり、笑いじわ沢山の素敵な笑顔をする彼女は、95歳には見えなかった。

 

 

そんな彼女の言葉に偽りはないのだと強く感じた。

 

本当に、死にたいと思っているんだ。

 

価値のある人間でいたいと感じている。

 

 

でも死にたくない気持ちもある。自分で死ぬにも痛かったり、そのせいで迷惑をかけたりする。

 

天秤のように揺れ動く。

 

死ぬことを恐れていない人を沢山みてきて、彼女以外にも同じようなことを言う人も何人かみてきて教えてもらった。

 

 

価値のある人間でいたいと思う高齢者は多い。

 

 


 

高齢者の価値とはなんだろう?

 

 

「ありがとう」と繰り返す愛嬌のあるおばあちゃんは院内でも人気がでる。自分の祖父母や親しくしている人が人生の終わり際を見せてくれ、沢山のことを教えてくれる。

 

ひいじいちゃんが生きているというだけでも孫にとっては価値だ。

 

ボランティアをすれば人の役に立つだろう。日野原先生なんかは100歳を越えてもとてつもない価値を生み出している人だ。

 

 

でも疑問に思った。

 

 

「価値がないと人は生きてたらアカンの?」

 

 

 


 

高齢者になっても、価値を出し続けないといけないのか。

 

 

『話が長くなるお年寄りには理由がある』(増井幸恵著・PHP新書)によると、

 

90歳くらいの高齢の方になると、ちょっとしたことに対しても楽しみを感じている方が多いという。「ごはんが美味しい」「テレビを見ているのが本当に楽しい」「寝るのが大好きだ」「お友達と話すのが楽しい」など、それだけでありがたいと思っているのだ。

 

もちろん孤独感を抱いている。

 

しかし、「嫌な気分はほとんどない。気持ちは落ち着いている。いいことがあるわけではないけれど、とても幸せだよ」というふうに語ることが一般的だという。

 

こうした気持ちのあり方を、トルンスタムという社会学者は「老年的超越」と名づけた。

 

従来の喜ばしき高齢者のあり方は「生涯現役」だったが、それとは正反対に思えるようなあり方も、超高齢者の幸せのかたちとして存在している。

 

高齢になれば身体的に人に手伝ってもらわないと生きていけなかったりもするけど、それは若者と何が違うんだろう?

 

僕達も沢山の人に支えられて生きている。

 

金銭的にはきちんと保険を積み立てたり、システムでうまく支えられる社会をつくればいい。

 

常に十分な価値を生み出さなくてもいい。

 

子供から大人から高齢者までみんなが幸せに暮らせたら、それでいいのではないだろうか。

 

みなさんはどう思いますか?

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