月別アーカイブ: 2012年11月

自分について。

今日は生意気だと言われました。

 

あ、俺って生意気なんだ!と気づきました。

 

ってみんな知ってました?(笑)

 

まぁそんなことを言われても凹みません。

 

人から見えるからといってそれがすべてではない。

人の言葉は移ろいやすい。自分が納得し、自分が逃げずに歩もう、と。

 

もちろん人の意見は参考にします。

 

自分を客観的に見たいので。

 

 

 

 「己を知り、相手を知れば百戦危うからず。」
                ー孫子

 

 

 

 

あったり前の言葉だけど、本質。

 

 

 

 

そんなわけで「自分」について考えてみました。

 

 

<自分の改善すべきところ>

空回りするところ

長い付き合いになると話が面白くなくなるとこ(最初っから面白くない?)

ぼやけたことを言うところ

言語化できていないのに言ってしまうところ

熱しやすく冷めやすいところ

 

<少しできるようになったこと>

周りを大切にすること

最後まで言い切ること

一人でやってしまわないこと

 

<改善したいけどできないこと>

体力がない

 

<自分のできること>

批判を受け入れること

素直さ

固定概念に捉われないところ

 

<弱み>

ごり押しする力強さがない

 

<自分の特徴>

生意気なところ

上から目線な発言

 

 

 

 

 

ざっとですが、今の自分はこんなもんですかね。

批判は大歓迎なんでもっとこんなとこあるよーってのは言って下さい。

成長していきます。

許すんじゃなくて寛容さを持つこと。

言葉と行動が一致しないのは嫌いだ。

 

自分の言葉と自分の行動は一致させないと。

 

ウソをつけば、信頼を失うのは当たり前。

 

 

信頼を失うとよけい自分の首を絞めることになる。

 

 

だから出来るだけ自分の言葉と行動は一致させるべきだ。

 

 

 

 

だけど現実世界では言行一致していないことが往々にしてある。

 

人のそういう場面にはたくさん出会ってきたし、これからも間違いなく出会う。

 

もちろん自分も一致させられなかったことはいっぱいある。

 

それでも口ではいいことを言って、全然行動が伴っていないのはよくない。

 

 

 

だからといって厳しく指摘し続けないといけないのか。

 

許してはいけないのか。

 

自分がやりたいように生きたらいいんやし、自分で首を絞めててもその人が納得いってたらそれでもいい気もする。

 

 

結局みんな自分のために生きてるんやし。

 

 

 

 

こんな風に自分で納得すると、俺はえてして人を許しがち。

 

 

許してばっかだと飲み込まれる。

 

 

どうしたらいいか。

 

少し考えて、

 

 

俺はまた一つ自分の信念を見つけた。

 

 

それは

 

 

「寛にして畏れられ、厳にして愛せらる。」

 

               ー宋名臣言行録

 

 

 

 

畏れられるくらい寛容でいい、と。

 

 

許してばかりだと飲み込まれるかもしれないけど、それを飲み込むくらいの寛容さがあるんじゃないかと思う。

 

 

ただそれだけではなく、厳しさがある。

 

 

愛されるくらいの厳しさが。

 

 

 

許すことと寛容さは違う。

 

 

 

 

畏れられる寛容さと愛される厳しさを持ち歩こう。

 

 

 

頻繁に起こる死を目の前に②

なんでなのかずっと分からなかった。

 

 

でも分からないまま、人の死をやり過ごすわけにはいかない。

 

 

 

いろんなタイミングが重なって僕は「利己的な遺伝子」という本を読んでいた。

 

人間は遺伝子という利己的な存在を生き残らせるためにプログラムされた機械なのだと提言する名著。

 

 

本を読んでこんなにショックを受けたのは初めだった。生物の恐るべき真理を知ってしまった気分だ。

 

 

 

 

 

分かったのは、家族でもなく遺伝子的にも全く関係ない人、さらに仲がいいわけでもなく自分を助けてくれる可能性もない人の死に対して、遺伝子は人を悲しませたりはしないということ。

 

 

アフリカの子供たちがいくら餓死していると言われてもほとんどの人が助けにいかないのと同じ。

 

 
本来は自分のためばかり考えようとするのが遺伝子。

 

自然淘汰の中で生き残った遺伝子は利己的でしかありえない。

 

 

 

 

しかし遺伝子が生き残るようにプログラムしているが、この本は必ずしも人間が利他的になれないとは言っていない。
人間は遺伝子によって大きく左右されているが、環境によっても多大な影響を受ける。

 

いい例ではないけど、遺伝子が生き残るために人が生きているとすれば、ゲイやレズの存在はおかしいし、自殺だって年間3万人も発生しない。

 

 

 
ただ遺伝子が基本的な人を作っているのは真理で、

 

 

死に触れた時、自分とはあまり関係がなく、悲しまないこと自体が悪いことではないと思った。

 

 

もちろん悲しいと感じたら悲しんだらいいが、無理して悲しむ必要はない。

 

 

だからといって人の死を自分に関係ないとないがしろにしちゃいけない。

 

 

 

 

 

 

 

死を大切にする社会であるべきだ。

 

 

すべての人にとって死はとてつもなく大きい問題。

 

 

死について考えるからこそ、よりよく生きる。そっちの方がみんな幸せだ。

 

 

 

 

 

 

だから僕は、人の死に触れる時

 

①その人に尊厳を持って接する

 

②その人がなぜ救えなかったのか考える

 

③今後同じような人を助られるように努力する

 

④その人は亡くなってしまったが、その家族はいる。その人たちのためにできることをやる

 

⑤死に触れる機会が減った現代社会において教育の場とも捉える

 

 

 

これを実践していこうと思う。

 

頻繁におこる死を目の前に①

10月から3次救命の当直に入っています。

 

 

 

かぜによる高熱や家庭では処置できない切り傷といった症状を診察治療するのが1次救急。

 

2次救急は、入院や手術を必要とする患者さんを対象にし、

 

3次救急が生命に危険が及ぶような重症・重篤患者への対応を担います。

 

 

 

日本では年間107万人の人が亡くなっている。

 

 

365で割ると毎日3000人が亡くなっている。

 

 

そうすると東京都だけで毎日300人死んでるという計算。
重症なためうちの3次救命に運ばれてくる患者さんが亡くなることも多いわけで。

 

 

1日に3人亡くなって運ばれてくることだってざらにある。

 

 

 

 

 

 

遠かった死が、頻繁に目の前で起きる。

 

内科とは違って、救命救急だと全く知らない人が突然運ばれて来て、死んでいく。
あっさり、水が流れるかのように。

 

 

 

 

 

僕は戸惑った。

 

 

心の整理ができなかった。

 

 

思考がストップしがちだったけど、しっかりと自分に聞いてみると、やっぱり・・・。

 

 

 

 

 

 

 

周りの家族が泣いている。

 

 

 

 

号泣する声が耳に届く。

 

 

 

 

それでも

 

 

 

 

悲しむことができない自分がいた。

 

 

つづく