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僕の人生のミッションは「より豊かなヘルスケアを文化に」することだ。
なぜ「ヘルスケア」なのか?
医療者は治療・ケアを実践する。医療では現状のできる範囲で最適なことを選択していくものだ。脳梗塞になってしまったおばあちゃんに「なんでなったんだろうね?」と聞かれても、「悪性腫瘍が原因で凝固機能がおかしくなって・・・」と説明するのではなく、「今の現状でできることを考えていきましょう。」と言うものだ。でも強く思う。僕は根本治療がしたい。
「膝が痛くなってから」「足がしびれてきてから」「手足が動かなくなってから」「胸が苦しくなってから」では少し遅い。
「手術するの?」「透析するの?」「寝たきりになりたいの?」「入退院を繰り返したいの?」って聞かれたら、誰だってそうしたくない。
もちろん遺伝的になりやすい病気もある。ざっくり言って半分が遺伝、半分が環境因子で決まる。種の保存のために遺伝的に多様であるべきで、遺伝的なことから病気になって病院にかかるのはしょうがない。だけど予防できるものは予防しようよ!
現代の疾患構造は100年前と大きく異なり、感染症から生活習慣病へと移行した。その生活習慣病からくる心血管疾患などを予防する、それがヘルスケアだ。
車と一緒だと考えると分かりやすい。
若い時はがむしゃらに走ってもいいと思うかもしれないけど、無理にアクセルを踏んでいたりすると、エネルギー効率が悪いし、タイヤなどの摩耗もしやすい。
突然故障した時に、すぐにレスキューが来てくれればいいけど、田舎の奥地だと困る。なんとか治ったらいいけど、ガタがきて、乗り心地の悪い車を乗り続けるのは大変だ。
身体も全く同じで、大事に扱った方がいい。身体は80年使い続けるもので、何より乗り換えられないのだから。
車検と通すのと同じように、正しい健診を受けた方がいい。故障する前に危ない部分をメンテナンスをした方がいいように、病気になる前に前兆をキャッチして気をつけた方がいい。車も身体も、大切に扱うと長持ちする。
なぜ「より豊かなヘルスケア」なのか?
豊かな暮らしがヘルスケアになる。豊かな暮らしとは毎日30分くらい散歩したり、週末にテニスをしていたり、畑を耕していたり、山の新鮮な空気を吸ったり、新鮮な野菜料理を友達と食べに行ったり、海岸清掃ボランティアに参加したりすることだ。
「それができれば苦労しないよ」と言うかもしれない。でもこれができれば、ずっと幸せでいられるんだよ。一歩踏み出して、豊かな暮らしを目指そうよ。
環境学者は環境との共生方法を提案するし、コンサルタントは経営方法を提案するし、弁護士は書類の書き方を提案する。だから僕も医療者として生き方、死に方について叫ばせてほしい。
病気になってからお金をたくさん払うより、病気予防にお金を使おうぜ。病院よりも美味しくて暖かい店に通おうぜ。心身に負担をかけながら暮らすんじゃなくて、心も身体にも気持ちいい暮らし方をしようぜ。人生まっとうしてるんやし、死ぬ時は感謝だけ伝えてすっぱりいこうぜ。
なぜより豊かなヘルスケアを「文化に」なのか?
当たり前なことだが、可能な限り環境は整っていた方がいい。社員食堂が美味しかったり、誰でも簡単に畑が借りられて教えてもらえたり、自転車レーンがあって自転車で通勤しやすかったりしたらといい。
そんな風に日本全体が文化として豊かなヘルスケアを実践していれば、病気になりにくく、元気に活動や仕事ができて、互いに支えあっている、本当に幸せな国だ。高齢先進国として世界に誇れる背中を見せられる。
ヘルスケアをサッカーに例えてみる
僕はそのために今、何をするのが最もよいか模索中だ。まだ形にはできていないけど、人生をかけてヘルスケアをやる覚悟はできた。
僕が病気に詳しい医者であることは大きな強みだが、実際にヘルスケアを提供したり活躍するのは、看護師や保健師、薬剤師、理学療法士、栄養士、ヨガ講師、プログラマーなどなど、パラメディカルだと考えている。むしろ医療者じゃなくてもいい。
そういう仲間たちが、サッカーで言うとフォワードやミッドフィルダーとして思う存分やりたいことをやってもらう。僕自身はキーパーやボランチとして、守りを固めるイメージだ。
医学的にも正しく、豊かなことを提案・実践していきたい。
いっちょやっていこう。